大判例

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最高裁判所大法廷 昭和24年(オ)182号 判決

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人大高三千助の上告理由について。

罹災都市借地借家臨時処理法(以下単に処理法という。)は、先般の戦争による罹災又は建物疎開のため甚大な被害を蒙つた都市における罹災者の居住の安定を図ると共に、都市の急速な復興をはかるため制定されたものであつて、罹災者の居住の保護のために、罹災建物の借主に対しその敷地につき優先的に借地権の設定又は譲渡を求める権利を与え、また、疎開跡地について旧借地人又は疎開建物の借主に優先的に借地権の設定を求める権利を与えている。すなわち、同法二条、三条(同法九条で準用する場合を含む)では、罹災建物の借主に、敷地についてその申出により優先的に借地権の設定又は譲渡を受ける権利を認め、土地所有者又は既存の借地権者は正当な事由がなければ、その申出を拒絶することができないものとし、同法一五条、一八条では、この借地権の設定又は譲渡に関する法律関係について争のあるときは、申立により裁判所が非訟事件手続法により、これを定めることができる旨を規定している。

元来私権に関する裁判の手続については現行法上民事訴訟法、人事訴訟手続法、非訟事件手続法、家事審判法等各種存するのであるが、非訟事件手続法は私権の発生、変更、消滅に裁判所が関与する場合に、これによるのを原則とする。そして、処理法一五条、一八条の裁判は既存の法律関係の争を裁判するのではなく、前記の如く、土地について権利を有していなかつた罹災建物の借主らに、新に、敷地に借地権の設定を求めたり、既存の借地権の譲渡を求める申出権を認め、土地所有者又は既存の借地権者がこれを拒絶した場合に、その拒絶が正当な事由によるものであるか否かを裁判するのであつて、この裁判は、実質的には、借地権の設定又は移転の新な法律関係の形成に裁判所が関与するに等しいものであること、および、罹災地における借地の法律関係については実情に即した迅速な処理が要請せられていた当時の実情に鑑み、これを非訟事件として、同法一六条、一七条の借地借家関係の形成の裁判と共に、非訟事件手続法によらしめたものと認められる。そして、私権に関する裁判を如何なる手続法によらしめるかは、事件の種類、性質に応じて、憲法の許す範囲内において、立法により定め得る事項であるということができる。

ところで、非訟事件手続法では、その裁判は判決の形式をとらず、決定の形式をとり、また、必要的当事者対審の方式が要求されておらず、審理は非公開を原則としており、当事者処分主義でなく、職権主義が加味されているのであるが、管轄裁判所、裁判官の除斥等の規定を設けて裁判の公正を保障し、当事者の申立、陳述、期日、期間および証拠調等について、民事訴訟法の規定が準用され、当事者に主張、弁解の機会が与えられ、裁判は職権により事実探知のほか、民事訴訟法の準用による証拠調に基いて、事実を認定して、法律によりなされるのであつて、更に、その裁判に対しては抗告、特別抗告の途が拓かれており、いやしくも、裁判官の専恣による事実および法律上の判断を許さないことはいうをまたないところである。してみれば、非訟事件手続法によるかかる裁判は固より法律の定める適正な手続による裁判ということができる。それ故その裁判が憲法三二条、八二条に違反するとの非難は、当らない。

そして、処理法二五条は、同法一五条の規定による裁判は裁判上の和解と同一の効力を有する旨規定し、裁判上の和解は確定判決の同一の効力を有し(民訴二〇三条)、既判力を有するものと解すべきであり、また、特に所論の如く借地権設定の裁判に限つて既判力を否定しなければならない解釈上の根拠もなく、更に、本件の如く実質的理由によつて賃借権設定申立を却下した裁判も処理法二五条に規定する同法一五条の裁判であることに疑いなく、従つて、これについて既判力を否定すべき理由がなく、この裁判に既判力を認めたからといつて、憲法の保障する裁判所の裁判を受ける権利を奪うことにならないことは多言を要しないところである。

してみれば、原判決が本件賃借権設定および条件確定の申立は処理法一五条、一八条に従い非訟事件手続法により裁判されたものであつて同法二五条により、その裁判は裁判上の和解と同一の効力を有するのであるから実質的理由の下になされた昭和二二年(シ)六一〇号事件の申立却下の決定には既判力があり、上告人の右申立事件で主張したと同一事実を請求原因とする本訴請求は理由がないとして排斥したことは正当であつて、所論の如く憲法違反又は処理法の解釈を誤つた違法はない。論旨はすべて理由がない。

よつて民訴三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官真野毅、同島保の意見および裁判官垂水克己、同河村大助、同下飯坂潤夫の少数意見があるほか裁判官一致の意見により主文に如く判決する。

本件に関する裁判官真野毅の意見はつぎのとおりである。

わたくしの結論は多数意見と同じであるが、理由の説明において異る。

既存の法律上の紛争については、何人も裁判所において裁判を受ける権利を有し、その訴訟手続は公開主義、口頭弁論主義にもとづき公正に行わるべきことは、憲法の要請するところである(判例集一〇巻一〇号一三六〇頁以下に述べた意見参照)。

本件では事実関係をよく見つめることが、特に大切である。そこで本件における原審の確定した事実によれば、上告人の主張は「上告人先代は本件宅地を被上告人青木から賃借し、その地上に建物を所有していたが、右建物は昭和一九年中強制疎開命令によつて除去されると共に右賃借権は東京都に買収された。右命令は昭和二一年四月中解除となり、本件宅地は被上告人青木に返還され、ついで罹災都市借地借家臨時処理法の施行によつて、もとの借地人はこれに対して優先賃借の申出をするとができるようになつた。その間昭和二一年四月一六日上告人は右先代の死亡によつてその家督相続をしたので、同年一一月一〇日被上告人青木に対し本件宅地賃借の申出をした。被上告人青木はこの当時この申出を拒絶したけれども、その拒絶は正当の事由にもとづかないものであるから、本件宅地については右の賃借申出の後三週間を経過したとき、原告のため相当の条件を以てする賃貸借ができた。それにも拘わらず被上告人等は右賃貸借を争うから、本訴において借地権の確認を求める」というのである。そして、上告人は先に前記処理法にもとづき被上告人青木を相手方として、東京地方裁判所に前記宅地に対する賃借権設定並に条件確定の申立をしたが、右申立は昭和二三年六月三〇日附決定をもつて却下され確定したことは本件当事者間に争いがない、と原審は確定している。さらに前記却下決定は、相手方の拒絶は正当の事由ありと認めるのが妥当であるとの実質的理由によつてなされたものであることを、原審は認定している。

この上告人の主張に関係のある法条は次のとおりである。「疎開建物が除却された当時におけるその敷地の借地権者」については前記処理法二条が準用されるから(同法九条)、「その土地の所有者に対し……建物所有の目的で賃借の申出をすることによつて、……相当な借地条件で、その土地を賃借することができる」(同法二条一項)。そして、「土地所有者は、……正当な事由があるのでなければ、第一項の申出を拒絶することができない。」(同条三項)。さらに同法一五条は、「第二条(第九条……において準用する場合を含む)……の規定による賃借権の設定……に関する法律関係について、当事者間に、争があり、協議が調はないときは、申立により、裁判所は、……これを定めることができる。」と定め、同法二五条は、「第十五条……の規定による裁判は、裁判上の和解と同一の効力を有する。」と定めている。

前記宅地に対する賃借権設定並に条件確定の申立事件における当事者間の主要な争は、上告人が前記処理法九条および二条一項にもとづき賃借の申出をしたが、相手方たる被上告人青木(土地所有者)は、同法二条三項により正当な事由があることを主張して右上告人の申出を拒絶したのである。すなわち争点は、賃借の申出を拒絶する正当な事由があるかどうかにかかつていた。そして裁判所は、正当な事由ありとして、上告人の申立を却下する決定をしたのである。

上告人先代の有した建物は、強制疎開命令によつて除去されると共に、右賃借権は東京都に買収され消滅したのであるから、同法九条、二条一項による賃借の申出によつてその土地を賃借することができる権利は、同処理法が太平洋戦争による災害を復興ないし調整するため創設したものである。そして、正当な事由があれば土地所有者は、右賃借の申出を拒絶することができること(同法二条三項)、正当事由の有無(したがつて賃借権の設定の成否)の争は、裁判所が非訟事件手続法により決定すること(同法一五条、一八条)、その決定は裁判上の和解と同一の効力を有すること(同法二五条)は、すべて同法制定の趣旨にもとづく賃借権創設と密接不可分な有機的関連を有するものである。いわば相待つて賃借権の創設を定める条件規定をなすものである。前記申立事件における正当な事由の有無の争のごときは、同法による賃借権創設の過程内における争に過ぎないのであつて、頭初に述べた既存の法律上の紛争ということはできない。したがつてこれを非訟事件手続で審理決定し、その決定に裁判上の和解と同一の効力を有せしめ、既判力を認めることは、憲法に違反するものということはできない。それ故、原判決は正当であり、本件上告は棄却さるべきである。(なお、一五条の裁判では既存の法律上の紛争を最終的に決定する効力をもつことは許されない。例えば、当事者間に疎開建物が除却された当時におけるその敷地の借地権の有無につき争が存する場合には、その争こそは既存の法律上の紛争であるから、一五条の決定で、右借地権を否定し、したがつて二条一項による賃借の申出による賃借権の設定を認めず申立を却下したとしても、疎開当時の借地権の有無の判断については既判力の効力は及ばない。その有無は、結局民事訴訟手続によつて審判さるべきである。)

裁判官島保の意見は次のとおりである。

憲法三二条は、「何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」と規定し、同八二条一項は、「裁判の対審及び判決は公開法廷でこれを行ふ」と規定しているが、ここにいう裁判がいかなる裁判をさすかは、法文上必ずしも明らかではない。しかし、これらの法条がいずれも厳格な意味における司法権の作用としてなされる裁判を念頭に置いて規定されたものであることは、憲法が三権分立の理念に立脚して制定されたこと、右法条が憲法の司法の章下に規定されていること等に徴して疑いない。そして右の意味における裁判は、具体的法律関係の存否に関し当事者間に紛争の存する場合に、証拠によつて事実を明らかにし、これに法律を適用することによつてその紛争を解決すること、略言すれば、いわゆる非訟事件に対して訴訟事件と称せられるものにつき裁判することをいうことは、司法権確立の沿革に徴し明らかなところである。されば、憲法三二条、八二条の保障するところは、何人も訴訟事件に関する限り、司法裁判所の裁判によつてその解決を受くべき権利を有し、審理と裁判とは、原則として公開の法廷で行われ、その手続は対審と判決とによつてなされなければならないことにあるといわざるを得ない。それゆえ、罹災都市借地借家臨時処理法一八条により非訟事件手続法の非公開、非対審、非判決の手続によつてなされる同一五条の裁判が違憲であるか否かは、その裁判の対象が訴訟事件であるか否かによつて決定されるものというべきである。ところで、罹災都市借地借家臨時処理法二条によれば、同条の要件が具備すれば直ちに賃借権が発生し、その賃借権に争があれば同一五条の裁判を受けうるもののごとくであり、この点からみれば同条による事件は、訴訟事件の観があるけれども、仔細に両条を調べてみると、当事者間に争があり協議が調わないため、いまだ真実には成立するに至つていない賃貸借関係につき、裁判所は鑑定委員会の意見を聞き同一五条所定の一切の事情を斟酌してその裁量により新たに賃借権を設定することができる趣旨を右の法条は規定したものと解するを相当とするので、同条による裁判は、いわゆる非訟事件に関するものであり、訴訟事件について裁判するものではないから、憲法三二条、八二条等による保障は、右の場合に適用されるものではない。そして右裁判は、申立を相当と認めれば新たに賃借権を設定するものであり、既存の賃借権の存否を確認するものではないから、その意味において既判力を生ずるものではないけれども、本件の場合は同条による申立が却下され、賃借権が設定されなかつたのであるから、その理由により、上告人の請求を排斥した原判決は結局において正当であり、本件上告は棄却されるべきものである。

裁判官垂水克己の少数意見は次のとおりである。

私は、裁判とは何かということについての多数意見には賛成できない。処理法一五条の裁判はそれが確定しても既判力はないから、その目的物となつた権利関係について当事者は新に訴を提起して公開対審手続による権利の存否を確定する判決を受ける権利を奪われない。本訴請求に対しては実体判決をすべきであつたのに原判決がこれを斥けたのは違法であるから原判決は破棄されるべきである、と考える。

(1) 固有の意味の裁判 固有の意味で裁判とは権利に関する争議について法の定める手続に従い法を適用して判定することをいう。すなわち、法上の権利の存否及びその範囲について争議があるときこれに対して法の定める手続に従いつつ法に照らして権利の存否及び範囲を確定することであつて、刑事においては、ドイツやわが国の多くの学説のいうように、或る特定の人(被告人)に対して国が刑罰請求権(刑罰の執行に服従すべきことを請求する権利)を有するかどうか、有るとすればその範囲如何を確定することである。(これを仮りに黒白裁判と呼ぼう)。また固有の意味の裁判とは権利争議の目的物となつている具体的事実(事件)に法を適用して判定を下すこと(司法)であるといつてもよい。固有の意味の裁判は、広い意味の法(条理、正義人道、衡平などと呼ばれるものを含む)に照らして、しかも場合によりかなり自由な解釈をして判定を下すものではあるが、それでも所詮客観的な憲法及び法にのみ拘束された、権利存否の法律的判定であつて、特定の事実から発生する権利義務の内容は法によつて一定し、裁判する国家機関たる裁判所がこれを増減変更することができないのを大原則とする。例えば、当該契約と法に照らせば買主は代金一〇万円を支払はねばならない場合には、裁判所は一〇万円の支払を命ずる裁判だけをしなければならない。裁判所は裁量により六万円だけの支払を命じたり、或は、支払に代えて特定物を引渡したり、売主のために働いたり、謝罪したりすることを命ずることはできない。仮りに、法律によつて、裁判所に右のような裁判をすることを許しても、それはもはや権利争議に法律的判定を下す固有の意味の裁判ではない。

憲法三二条にいわゆる「裁判を受ける権利」とはかような固有の意味の裁判を受ける権利を指すものと解すべきである。けだし、権利についての争議(法律上の争訟)が裁判所に持ち込まれた場合に、若し、裁判所が当事者の意思に反しても、かかる裁判を避け法の適用から離れて自ら衡平適正と考えるところに従い自由に権利関係の変更を命ずる裁量的措置(司法的行政処分)を命じて争訟の有権的解決を遂げ得るものとするならば、予め実体法をもつて定められた人の権利義務は裁判によつて不測の(当事者も実体法もが予測しなかつた)強権的変更を受ける虞が常に存することとなろう。例えば、或特定の売買による売主の権利義務と買主の権利義務とはその契約と民法とによつて定まる。当事者はそれぞれ自分はこれだけの権利がありこれだけの義務しかないと考えてお互いの生活関係であるこの売買を決定確約した。しかるに一朝争が起つて裁判になると、事情は一変し、裁判所は右契約の成立と当事者一方の不履行を認めながら、当事者の意思如何に拘わらず、前例のような権利義務を変更する裁判をすることができるとすると、当事者は裁判によつてどんな目に遇うかも知れず、契約も法律も頼りにならない。かくては、権利者は法が認めそして裁判と強制執行をもつて保障しようとする権利の満足を得られなくなり、従つてこの保障が失われた権利は権利たるの実を失い、その結果、広く権利及び法の強制力、惹いて社会生活の法的安固が害される虞を生ずること明らかである。これではもはや黒白裁判でなく大岡裁判、カーデイ裁判である。かような結果の承認は三権分立制下の固有の意味の裁判の本質及び作用の否定にほかならない。されば何人も固有の意味の裁判を受ける権利を奪われないものとすることは個人のためにも国家公共のためにも最も大切な、三権分立制国家組織の柱石をなす事項であり、かような裁判こそわが裁判所から奪うことのできない不可欠の権限であり、裁判所の本質的至上命令である。国民は権利を侵害されたと考える場合に原告としても、又訴を受けた被告としても、自分が欲するかぎり、固有の意味の裁判を受ける権利を奪われないというのが憲法三二条の意味でなければならない。そしてこの裁判の意味たる審理が当事者双方の対論である場合には、当事者が欲する限り一度は公開法廷でそれが行われなければならない。その裁判(判決)も公開法廷でされなければならないと憲法八二条はいうのである。

(2) 実質上行政たる性質の裁判 法が固有の意味の裁判以外に実質上行政に属する行為を裁判所にさせ、これをも裁判として扱うことは、それが事柄の性質上三権分立制の本義を失わせるものでないかぎり憲法に違反するものでないと解してよい。法定の場合に裁判所がする不在者の財産管理処分、夫婦間の協力扶助に関する処分のような要するに私法上の生活関係に対する国の直接的後見行為たる非訟事件の裁判、或は、非行少年に対する保護処分裁判、又は起訴前の勾留状の発付等の強制処分の裁判等がそれである。これらの行為(司法的行政処分)を裁判所に、裁判の形で、黒白裁判に準ずる手続でさせることは裁判所が法の適用を司る独立公正な判断をするに適した裁判官と機構とを持つことに鑑み適切なことであつて、これをも広義の裁判として扱うことは適当であることが少くない。司法的行政処分も立法によつて裁判とされた以上、裁判官は独立してこの裁判をしなければならない。その場合にも何人もこの裁判を受ける権利を奪われないが、それはこの立法の効果によるのであつて憲法三二条によるのではない。だから、また、裁判所をしてこのような司法的行政処分たる性質の裁判をさせなくする立法をしても憲法三二条に違反するものとはいえないのである。

(3) 対論 権利争議について裁判するには裁判所は争議内容を認識しなければならない。当事者は裁判所に対しどんな裁判を欲するかを申し立てこれを正当とする事実及び法律上の理由を主張し、立証し、意見を述べることができるようにすることが賢明な裁判制度である。当事者双方が裁判所に対し互に或裁判を申し立て、その理由を主張し、立証し意見を述べあうことが対論である。対論は攻撃防御であり、書面の交互提出によつてもできないことはない(例えば保釈願とこれに対する検察官の意見書とにより裁判所が保釈許否の決定をする如き)が、それよりも直接裁判官の面前で口頭でこれを行うことこそ情理をつくすことができ切実効果的であつて、裁判所が啓発され真実を探究し法(正義)を発見するのに絶好無比の方法であるから、重要な対論は口頭でなされるべきことを法律が定めることを憲法八二条は予期するのであつて、同条にいう対審とは口頭による対論すなわち口頭弁論をいうと解すべきである。権利争議の当事者が(例えば、略式命令や支払命令に服せず)口頭弁論に基いて裁判されることを欲する限りその本案裁判は公開法廷での口頭弁論を一度も経ないですることができない。そしてこの裁判は公開法廷で口頭で言い渡されなければならない。重要な本格的審理においてはもはや革命前のフランスのような秘密・書面審理主義は許されない。これによつてこそ、裁判所が片言によらず当事者双方の言い分と証拠に耳を傾けて公明正大に真実と法(正義)を探求し公平な裁判をすることが保障されるのである。これが憲法の精神である。

(4) 罹災都市借地借家臨時処理法は、要するに一定の賃貸借関係につき当事者間に協議が調わずその他争があるときは、裁判所が当事者の申立次第で或は裁量により借地権を設定する裁判を、或は法を適用して権利の存否を確定する裁判を、いずれも非訟事件手続法によつてすることを規定したものと解される。当事者がこの裁判に服するなら事件は落着する。実際この裁判によつて多数事件は早期に適正に解決を見るであろう点にこの立法の価値はあろう。けれども、この裁判は非訟事件手続法により必しも公廷での口頭弁論に基き公廷で宣告されることを要しないものである以上、当事者の一方が公開の口頭弁論に基く公開判決を要求する限り、この裁判がいわゆる「確定判決と同一の効力」を持つに至つて後も、当事者が新に訴を提起して同一事実につき公開口頭弁論により法に照らしての権利の存否を確定する公開判決を受ける権利を奪うことは憲法三二条、八二条の上から許されないことは多言を要しないであろう。多数説の論拠をもつてすれば民刑訴訟を広く非訟手続に切り換える立法をしても違憲ではないということになり甚だ危険が感ぜられる。

処理法二五条は、同法一五条による裁判は裁判上の和解と同一の効力を有する旨規定し、裁判上の和解は民訴二〇三条により確定判決と同一の効力を有するが、しかし、私は、「確定判決と同一の効力を有す」とは単に訴訟終了の効果と執行力あることを認めたに止まり必しも既判力を認めた趣旨ではないと解する説に賛成する。従つて、本件問題の右処理法の裁判の後も、同一事実について当事者が更に訴を提起して法に照らして権利の存否を確定する公開審判を受ける権利は現行法の下でも奪われていないと解するものである。

されば、原審としては、さきの処理法に基く却下決定に既判力ありとして上告人の本訴請求を排斥すべきでなくこれに対しては新に公開口頭弁論による判決手続を行うべきであつた。よつて上告理由第二点は理由があるから、原判決を破棄し本件を原審に差戻すべきものであると考える。

裁判官河村大助の少数意見は次のとおりである。

原審の確定した事実によれば、上告人の先代は被上告人から、その所有の本件係争宅地を賃借し、その地上に建物を所有していたが、右建物は昭和一九年中強制疎開命令によつて除却せられ、同時に右借地権は東京都に買収された。その後昭和二四年四月右命令が解除されて、右宅地は被上告人に返還されたので、上告人は罹災都市借地借家臨時処理法九条、二条によつて、旧借地につき優先賃借の申出をなしたところ、当時被上告人はその申出を拒絶した。上告人は右被上告人の拒絶は正当の事由に基づかないものであるから、本件宅地につき、右賃借申出後三週間を経過したとき上告人のために相当の条件を以てする賃借権が成立するに至つたと主張し、これを争う被上告人等に対し右借地権の確認等を求めるというにある。これに対し原審は、上告人はさきに同一事実関係につき前記処理法に基づき東京地方裁判所に賃借権設定並びに条件確定の申立をなしたところ、同庁においては、右申立は相手方の拒絶に正当の事由があるとの理由の下に決定を以て却下し、当時右決定は確定したので、右裁判は前記処理法二五条により裁判上の和解と同一の効力を有し、従つて既判力があるから上告人はもはや被上告人に対し、同一事実を請求原因として、借地権を主張することができない旨判示して、上告人の借地権確認の本訴請求を排斥したのである。

右判決に対する上告代理人大高三千助の上告理由につき私は次にように考える。

憲法三二条は国民の裁判を受ける権利を保障し、同八二条一項は裁判の対審及び判決は公開の法廷で行うことを要求している。ところで憲法三二条は如何なる事項について国民の裁判を受ける権利を保障したのか、また同八二条一項は、如何なる裁判が対審手続によつて判決の形式でなさるべきかを明示していないが、民事裁判が本質上法律を適用することによつて当事者間の紛争を解決する司法作用であり、右憲法の保障する裁判も、非訟事件に対して訴訟事件と称せられるものを対象とすることは異論のないところであろう。けだし、右憲法の法意とするところは、当事者間の権利関係についての紛争は公開の法廷において行われる対審(口頭弁論)及び判決によつて公権的な判断を下すことにより決すべき旨を定め、国民がかかる裁判を受ける権利はこれを奪うことができないものとして保障しているということができるからである。裁判所法三条において、裁判所は一切の法律上の争訟を裁判する権限あることを規定しているのも、右憲法における裁判の意義を明確ならしめたに過ぎないものというべく、従つて、憲法の保障する公開の法廷において対審判決により公権的な判断作用をなすべきところの訴訟事件の裁判を、かかる厳格な手続によらない密行、簡易性の非訟事件手続によつて裁判をすることは法の許さざるところである。民事訴訟における口頭主義弁論主義もまたかかるところに根拠を有するものというべく、かくして厳格な手続を経た訴訟事件の裁判にしてはじめて既判力を認め得るものというべきであつて、非訟事件の裁判には確定判決と同一の既判力を認むべからざる所以の根拠もここに存するのである。

ところで本件で問題の、罹災都市借地借家臨時処理法二条は、一定の要件即ち賃借の申出と擬制承諾との法律要件の具備によつて、法律上当然に借地権の発生を認めているのであつて、その成立自体に国家機関の関与を必要としない。即ち裁判によつて借地権を創設するものでないことは同条の解釈上疑いの余地がない。従つて同条による借地権の発生につき争を生じたときは、その争は純然たる訴訟事件に属し、非訟事件の性質を有するものでないことも明白である。然るに同法一五条及び一八条によれば、同法二条の借地権の設定に関する法律関係について、当事者間に争があり、又は協議が調わないときは、申立により裁判所は鑑定委員会の意見を聴き従前の賃借条件、土地又は建物の状況その他一切の事情を斟酌して、これを定めることができ、その裁判は非訟事件手続法によりこれをなすと規定されている。而して右一五条では「借地権の設定」なる文字を使用し、その行文必ずしも明確ではないが、同法二条の借地権は当事者の申立により裁判所がこれを設定する法意でないことは前に述べたとおりである。蓋し拒絶の正当事由が不存在の場合は借地権は当然成立するのに、争がある場合は裁判によつて始めて形成されるというが如き、権利発生が二途に出づるような見解は正当でないからである。元来処理法が罹災都市の復興及び住宅問題の急速処理の必要から、その解決を簡易な非訟事件裁判に求めようとした立法政策はこれを首肯することができるが、しかし、借地権の存否自体の争い即ち本来訴訟事件たる性質を有する権利関係の重大な紛争までも、非訟事件にとり入れて憲法上の裁判を受くる権利を奪う如き、応急立法をしたとは考えられない。従つて右一五条の規定は、既に二条によつて設定された借地権に関し、賃料その他の借地条件を鑑定委員会の意見を聴き具体的に定めることを目的とするものであつて、借地権自体の設定又はその存否の争いを確定することは同条審判の対象とならないものと解するを相当とする。さればたとえ非訟事件裁判所において同条による借地条件形成の裁判の前提として、借地権の存否に関する実体的要件を一応審査したとしても、それは非訟事件の裁判の対象となるものではなく、飽迄前提要件の審査に過ぎず、この判断が実体的確定力を有するものでないことは理論上当然の筋合である(その後同法と全く同様の立法の接収不動産に関する借地借家臨時処理法一七条(本法一五条に当る)は裁判の対象を賃借条件又は対価の決定のみにしている点は注目に値する)。従つて、右の前提要件を欠くものとして処理法一五条による申立を却下されたとしても、改めて借地権の存否の確定自体を通常の民事訴訟手続に求むることは、何等妨げないものというべく、されば右申立却下の裁判によつて借地権の存否についても既判力を生ずるものとなした原判決は、処理法の解釈を誤つたものというべきである。

多数意見は「処理法一五条、一八条の裁判は既存の法律見解の争を裁判するものではなく」「その拒絶が正当な事由によるものであるか否かを裁判するのであつて、この裁判は、実質的には、借地権の設定又は移転の新な法律関係の形成に裁判所が関与するに等しいものである」と説示しているが、同法二条は拒絶が正当の事由に基づくときは借地権を成立せしめず、反対に拒絶が正当の事由に基づかないときは、借地権を成立せしむることになるので、その正当事由の存否の争いは、取りも直さず借地権存否の争いに外ならないのである。そしてその争いを裁判することは、借地権の存否を確定するものであるから、既存の法律関係の争いを裁判するものであつて、明かに訴訟事件の性質を有するものである。

又多数意見はかかる非訟事件の裁判と雖も裁判所において公正な手続により行われるものであるから法律の定める適正な手続による裁判ということができ、憲法三二条、八二条に違反するものではないとの趣旨を判示しているが、かかる見解は立法によつて、あらゆる私権についての紛争を非訟事件手続により裁判することを定め得るに等しく、到底賛同することを得ないものである。

以上要するに、処理法一八条、二五条の規定は、憲法に違反するものというを得ないが、本件問題の申立却下の裁判は、確定判決のような既判力を有するものでなく、かつその裁判の存在は、借地権の存否の確定を求むる民事訴訟の審判を妨ぐるものでないから、原審は須らく上告人の本訴請求につき、その実体的の審理判断を行うべきであつたにも拘らず、前記申立却下の裁判につき同法二五条により既判力を認め上告人の請求を排斥したのは、処理法の解釈を誤つた違法によるものであつて、上告理由二点はその理由あるに帰する。よつて原判決を破棄し本件を原審に差戻すを相当と思料する。

裁判官下飯坂潤夫の少数意見は次のとおりである。

私は大体において、河村(大助)裁判官の少数意見に同調する。

本論旨に対する判断は、先ず罹災都市借地借家臨時処理法第二条(第九条の場合にも関連して)の解釈を基礎とすべきものと考える。云うまでもなく、借地権は地主の所有権に対する制限であるから、地主の意思に基くことを必要とする。すなわち、地主の当該借地権の設定を欲する意思表示によつて設定されるものであること、その意思表示が遺言に基づくような特別の場合を除いて地主対借地人間の契約の形式をとるものであることは、ここに多く弁ずるまでもあるまい。右臨時処理法特設の借地権といつても、その例外であり得るものではなく、右法律第二条はこの当然のことを、多少のニユアンスを附してうたつているに過ぎない。従つて多数意見の説くように、右法条は借地権を法律の規定によつて当然に発生するとか、或は裁判所が設定するとかいうことを規定したものではないのである。もし多数意見のようだとすれば、地主はその自由意思を無視されてその土地の使用権をはく奪されるような結果になるであろう。そうした解釈が憲法の諸条章をまつまでもなく、条理上許し得ないことは、あえて贅言を要しないところと考える。そこで、少しく右法律第二条の解釈を試みれば、同条は罹災建物が滅失した当時における建物の借主は(同法第九条所定の者についても同様であるが、)その建物の敷地又は換地に借地権のない場合でも、土地所有者に対し、この法律施行の日から二箇年以内に、建物所有の目的を以て賃借の申出をすることができ、これによつて他の者に優先して、相当な条件でその土地を賃借することができる旨規定しているが、地主において右申出を拒絶できることは、同条第二項から明瞭に窺い得るところであり、ただ、その拒絶の意思を右申出を受けた日から三週間以内に表示しないとき、又は、三週間以内に拒絶の意思を表示しても、それがいわゆる正当事由を伴わないものであるときは右申出を承諾したものと看做される(擬制承諾)というのである。すなわち、右法条全文の構成は申込、承諾の各意思表示を必要とする借地契約の成立を予定しているのであつて、ただ、罹災土地の焦眉の急に応ずべく、その形式が一種の強制契約のかたちをとつているだけなのである。(この種の強制契約は事情に応じ法律の常用する手段である)されば、この契約については一般の契約の場合と同じように、その成否について、各種の係争の生ずるであろうことは当然に予想されるところであり、(既に訴訟の現実がそうである)それらの係争が民事裁判の対象となると云わんよりは、民事裁判においてのみ審判さるべきものであり、右第二条にいわゆる借地の条件についての争は別として、性質上非訟事件に親しまないものであることは、これまた多言を要しないところであると信ずる。(私の理解するところでは、右臨時処理法第一五条の規定はいわゆる賃貸借の条件についてのみ適用さるべきを至当と考える。)多数意見は叙上の法解釈に頬冠りをするものであつて、その正当な所以を知らない。

次に、非訟事件の既判力について一言したい。この問題は非訟事件の本質如何の問題等に密接に関連し詳論を必要とする難問であるが、ここにはその結論だけを簡単に記すこととする。非訟事件の裁判は例外もあるが原則として既判力がないものと考える。元来裁判の既判力なるものは、その裁判が当該裁判所をき束する効力、講学上のいわゆる形式的確定力の存することを前提とするものであるが、非訟事件の裁判においては、原則として当該裁判所においての取消、変更を禁じられていないが故に右の形式的効力を認むるに由がないからである。のみならず、その本質的な根拠は非訟事件の性格そのものに由来する。すなわち、民事訴訟における裁判は、相対立する二当事者間の権利又は法律関係の存否の確定を目的とするに反し、非訟事件は一定の私法関係について秩序の維持保護監督等いわば国の後見的役割の発動を求むるものであつて、国家はこれに対し裁判の形式を以て裁量的処分を為すだけのものであり、従つてこの裁判に民事判決におけると同じ意味の既判力をもたしむることは理論不能に帰するからである。多数意見は右臨時処理法第二五条を論拠として本係争裁判の既判力を云為するが、私見は裁判上の和解が判決と同一の効力を有するものとする民事訴訟法の規定そのものが、裁判上の和解に、いわゆる判決の既判力を与えたものではなく、ただ単に執行力を認めたものに過ぎないものと解するを正当とし且また右第二五条に規定する第一五条乃至第一七条の裁判の中には却下の裁判を包含しないものと解するが故に、(これらの点についての詳論は次の機会に譲りたい)多数意見の既判力に関する所見には賛同致しかねるのである。

卑見は以上のとおりである。よつて、これを河村裁判官の少数意見に附加させて貰い、本件は破棄差戻すを相当と思料する次第である。

(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 真野毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 斉藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 河村又介 裁判官 小林俊三 裁判官 入江俊郎 裁判官 池田克 裁判官 垂水克己 裁判官 河村大助 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 奥野健一 裁判官 高橋潔)

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